2020年、31歳の春。
レースの予定、白紙。
世界は鎖国状態。各地の海外レースに出場する夢が、もうすぐ叶うと信じていたのに。
終わりが頭をよぎりはじめたのはこれが最初ではありませんでした。
マラソン初めて9年目でやっと達成した2時間20分切り、そして2分速くなるという魔法のシューズの登場。
今ぼくは、一体なんのために激しいトレーニングをしているんだろう。これ以上人と競い、より速いタイムを目指すことに意味はあるのだろうか。
ここまで、もう十分頑張ってきたと思わないか?
先が見通せない状況と、それなりの達成感。一人で走り始めてから初めて、ぼくの陸上競技への情熱の炎が少しづつ消えていくのを感じていました。
永遠に続くと思った旅。これが潮時というやつか…。
これを機に、陸上競技を引退する事に決めました。
東京マラソン2020が、ぼくにとって最後のレースになりました。
第2のランニング人生
競技者は引退しても、走る事を完全にやめてしまうわけではありません。
ぼくの母も、“魔法のシャツ”についていけなかった事が原因で、パワーリフティング競技から少しずつ離れていきましたが、それでもトレーニングは毎日続けていた姿を見てきました。
競うのを諦める事で、目の前に広がるランニングの世界は本当にシンプルで美しく、輝いている事に改めて気づかされました。
ただ外に出て走るという単純な行為をするだけで、気分はすっきり、嫌な事や悩みはどこかへ行き、次々とポシティブなアイデアが湧いてきます。そして走った後の食事はとてもおいしいです。
やっぱりぼくは走ることが大好きです。 大会に出なくてもランニングを極める「修行」の日々はまだまだ続いていきます。
まるランニングクラブの代表として、試合に出なくても、若い選手の手本となる達人のようなランナーを目指していきたいと思っています。
人の役立つ事をしたい
走るということは実に、極端にわがままな行動となり得る。私はかつて世界で称賛されたランナーの一人に、走ることから何を学んだのか聞いたことがある。彼の答えは、自分がいかに信じられないほどわがままであるかを知ったということであった。(ランニング事典172pより)
これまでぼくは人生の大半を、陸上競技者として、競争相手より少しでも優位に立つために、わがままに生き、多くの大切な事を犠牲にしてきました。
これからは自分の経験を活かして、より多くの人の役に立つ事をしていきたいです。
それが何かは、今は指導に力を入れ、教室を各地で開催したり、イベントの協力、ボランティア活動といったぼんやりとした事しか思いつきませんが、自分を育ててくれた周囲の人々、そしてランニングへの恩返しのために、残りの人生を捧げたいと思っています。
さようなら、陸上競技。
さようなら、世界。
こんにちは、ぼくの第2のランニング人生。
これに伴い、ブログのタイトルをまるランニングマガジン〜Second〜に変更させていただきます。 今まで応援ありがとうございました。これからもまるマガをよろしくお願いいたします。
※この記事はエイプリルフールネタでした。今年もお付き合いいただきありがとうございました。
大会が無くても、ぼくが走るのが大好きなのは本当ですが、まだまだ競技者としてやり残した事が沢山あります。
マラソン大会が必ず復活すると信じて、そしてまたいつか海外レースを走れる日が来る事を信じて走り続けたいです。
これからもよろしくお願いします。
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