東京マラソン2020振り返り。
今回は皆さんご存知の通り、新型コロナウイルス拡大の影響で、エリートの部男女車椅子合わせて200名ほどの規模で開催される事となった。
マイルでとれた飛行機の時間が遅めだったため、高知で最終調整練習を終えてから東京に移動。
まずはエリート選手の拠点となる京王プラザホテルで受付へ。そこでは検温も行われた。
夕食は信州最速プロジェクトの牛山さんと吉野家でうな丼食べました。
準備完了。神戸後はほぼ全てのレースで使用したソーティマジックLT2、フルマラソンはデビュー戦だ。
レース当日
5時20分頃に起床。
朝食は京王プラザホテルでとれると説明を聞いたが、やはり一部の選手のみだったようで、コンビニで購入。
いよいよ決戦の時が近づいてきた。
このレースでは、今まで一緒に競り合ったライバル達も数多く出場。同じく数少ない四国から参加、愛媛代表のなかむら君とも久々に再会。
なかむら君「アップ場所どこですか?知り合い全然いないし気まずいんですよね〜」
ぼく「確かに、ぼく達にとってはアウェー感あるよね」
なんだかんだでぼくもこういうレースは場数を踏み、結構顔見知りも増えた。ぼくもこのクラスでは経験豊富なベテランになりつつあるかな。フフン!
しかし最終受付で、みんなレースシューズにつける計測チップを両足につけている事に気づく。ぼくはつい”片方だけでいいだろう“、と自己判断してしまった。
受付の人に再度来るように言われ、万が一出走or記録が認められない可能性があると考えるとかなり焦ったが、なんとかもう一つのチップを発見し事なきをえた。
経験豊富なベテラン、初歩的なミスでレース前にメンタルにダメージを受ける…。
あっという間にレースまで1時間程度に。スタート周辺のウォーミングアップエリアで身体を動かす。
近くに大迫選手もいて、少しテレビにも映ったらしい。目立つためにストーキングしたわけではないのであしからず。
アップを終え、最終点呼をして整列。
関係者や報道カメラマンは沢山いるが、やはり観客的な人はあまり見ない。
なんだかこれで全て終わるかのような、なんとも言えない寂しい雰囲気。唐突に訪れたマンガの最終回のようだ。
ぼく達の冒険はまだまだ続くぜ!
まるランニングマガジン〜完〜
くだらないことを考えているうちに、レーススタート。
初めは飛び出し過ぎないように周りの様子を見る。顔見知りの実力が近いランナーも多い。安心して走ろう。
逆にスローペースにハマらないかという心配もあったが、時計をチラチラ見るとペースは3:05〜10/km、全くきつくない。
今日はこのペースでいける。
そして、しばらく走ると…なんと、もの凄い数の観客が!やばい、これ絶対批判されるぞ…。
そんな事もあり、スタート前の異様な雰囲気は忘れ、この頃にはいつものマラソンと同じような感覚になっていた。
5km通過、15分35秒。
序盤の下りを考えると、決してオーバーペースではないはずだ。このまま自信を持って行こう。
バンセンハーフでも一緒になった森橋選手が集団を引っ張るようになる。
アテが外れたのは、大きな集団ができるかと思いきや、ついていくる選手が少なく4人程度の集団となってしまった事だった。
なかむら君がついてきてくれたのは心強かった。
10km通過、この5kmを15分42秒。この区間も下り基調とは言え、最初の5kmとほとんどタイムが変わらないのは明らかに速すぎたかもしれないが、この時は色々と感覚がおかしくなっていたようだ。とにかくこのまま行こうと思った。
初め良い感じで引っ張ってくれていた選手が意外にも早くいなくなり、森橋選手も後ろの様子を見ていたりしたので、ぼくも前に出てみる。
しかし引っ張れる自信は無く、なかむら君をうまく前に出そうかと考えたが、なかなか誘いに乗ってくれない。
くそー、2年前おかやまで一緒に走った時はレースをコントロールできたのに。どうやらあれから経験を積み、クレバーなマラソンランナーになったようだ。
結局ぼくは後ろに下がったりと横に動いたりと、無駄な動きを繰り返し消耗してしまった。
ややきつさを感じはじめていたが、マラソンでは序盤は身体が重く、徐々に調子が上がり20km付近で楽に感じる事も珍しくない。
ペースが速いので1kmがあっという間に短く感じられるのは気持ちよかった。
ここは我慢の所だ、と言い聞かせた。
15km通過、この5kmは16分01秒。ここで最近のマラソンレースに近いペースに戻った。
このあたりから異変を感じ始めるようになる。若干脚に力が入りづらくなり、消耗を感じる。
ここからは数少ない難所と言える細かいアップダウンがあるが、明らかにきつい。
まだ限界というほどではないが、このまま保つのかという疑問が頭に浮かぶようになった。
幸い集団の人数が増えていたので、後ろで食らいつくしかない。
20km通過、この5kmは15分57秒。ここまで来たら高速ラップを刻めている事をモチベーションに頑張るしかない。
ハーフの通過は…やはり自己ベスト!66分51秒で通過した。
このまま行くしかない!と気持ちを奮い立たせたものの、徐々にきつさは増し、遂に限界が訪れる。
23km付近で集団から離れてしまった。
今までのマラソンで、自分の選んだ集団で30kmより前に離れた事はほとんど無い。
そして25km付近できつくなったらどうなるか、今までの経験でよくわかっている。
このまま後半のハーフも69分で走らないといけないなんて、2時間16分はなんと高い壁なんだ。17分台だって簡単じゃない。
25km通過、この5kmは16分40秒。まだ離れてからそれほど経っていないのに予想以上に落ちている。
ぼくの動きは完全に滑らかさを失ってしまった。
25-30kmは17分51秒と大幅ダウン、本格的な失速モードに入ってきた。
左の腕振りが硬くなるクセを修正しようとするが、身体が思うように動いてくれない。
後ろの集団に抜かれ、女子トップに抜かれ、もう抵抗する事はできなくなった。
集中力が切れてしまい、先に折り返しを終えた選手達を眺める。ああ、大迫選手前にいるね〜。
30–35kmは18分50秒。気づいたらゴールまであと少し。丸亀ハーフで競った選手が前に見えていた事もあり、なんとか見失わない事を考えて走った。
コースとしては前半の下りの割に、後半も特に山場は無く走りやすい。前回走った時のように35kmからさらに猛烈な疲労感に襲われる事はなかった。
40km通過は2時間15分台なのはわかった。残り2.195kmヘロヘロで走っても25分は切れるのではないだろうか。
”アシックス頑張れー!“という応援が聞こえてきた。
少し元気を吹き返し、ラストの走りにくい石畳も頑張る。最後失速していた選手を1人とらえてゴールした。
タイムは2時間23分49秒。97位。限りなく後ろの方だがなんとか100位以内には入れた。
昨年は3レース全て2時間20分前後の安定した成績を残せていたので、久々に撃沈したレースとなってしまったが、ぼくにしては23分台はそこまで悪い結果では無いかもしれない。一応2年前よりは10分以上タイムを短縮する事ができた。
しかし、“最後まで諦めない走り"には程遠く集団から離れてからのイメージが悪かった事、周りの好記録続出を見ると自信喪失してしまうのも正直な所だ。
自分で思っているより、ぼくは弱かった。やはり高知県記録は高い壁だった。いくら速いタイムで通過しようと、マラソンで大切なのはトータルタイム。
近年のマラソン高速化を意識し過ぎたあまり、自分のキャパシティを超えた走りをしていた事に気づけなかった。動きもそうだし、精神的にも柔軟性を失ってしまったのも、後半修正が効かなくなった要因だったかなと思う。
自分自身が強くなる事に近道は無いのなら、今まで通りぼくらしく地道に力をつけていくしかない。
トータルが大切とは言ったが、ハーフを自己ベストペースで通過する事は一年前ならとても考えられなかった。
シンプルに、次はこのペースで十分な余裕を持ち、維持できるようなトレーニングを積むだけだ。
注目の五輪代表枠争いは、大迫選手が自身の日本記録を更新する千両役者の活躍を見せ、東京マラソン2020は色んな意味で伝説的なレースとなった。
特に大迫選手が先頭集団から離れたのはぼくと同じ中間地点を過ぎたあたり。これからはハイペースを意識しつつも、ペースの見極めや離れてから1人で粘る能力を磨く事を忘れてはいけない。
20回以上走ってもマラソン選手としてはぼくはまだまだ未熟な部分があるようだ。
レース後、神戸でも一緒に走った川内鮮輝くん、小田俊平くん(2時間15分台の快走!)と。
こうしてぼくのファイナルチャレンジは終了した。
今回は世論も東京マラソン縮小開催には批判の声も多かったようで、もしレースが朝起きたら“開催中止”とコールされるような事が起こると思うと、怖くて息が苦しくなった。
望むような結果は得られなかったけど、ぼくとしては走る事ができて本当に良かったと思っている。
このような状況で走らせていただいた東京マラソン関係者の皆さん、ありがとうございました。
そして応援してくださった皆さんありがとうございました。もう一丁!
東京マラソン2020結果
2時間23分49秒(97位)
5kmLAP…15:35/15:42/16:01/15:57/16:40/17:51/18:50/19:04/(2.195km)8:09
ソーティマジックLT2 / ターサーソックス / POLAR M430
☆通過でハーフの最速記録
☆25km最速(1:19:55)
初出場時の振り返り↓