初マラソンから2年。ぼくのマラソン人生のターニングポイントとなった2度目のびわ湖毎日マラソンの振り返り。
憧れのランナーに会える、最後かもしれないチャンス
スイスレコード(2:07:23)ホルダーであり、大阪世界陸上銅メダル、東京マラソン優勝と国際大会で数々の輝かしい実績を持つ”スイスの英雄”ビクトル・ロスリン選手。ぼくの尊敬する憧れのランナーです。
スイスはマラソン後進国で、コーチをつけず1人でマラソンを探求する道を選んだロスリン選手はケニアで何度も合宿を行い、現地のランナーにコテンパンにやられながらも実力をつけて30代半ばで花開いた遅咲きのランナーです。
アシックスがスポンサーについているロスリン選手は日本のマラソンとは非常に相性が良く、アフリカ勢のような爆発的なスピードは無いものの、粘り強い走りは日本のファンにもお馴染みのランナーとなり、びわ湖マラソンにも招待されていました。
・強靭なメンタルがマラソン成功の鍵
完全主義のヴィクトー・ロスリン
またロスリン選手はランナーとして生きていくための方法を模索し、成功させてきたビジネスマンでもありました。
ぼくにとってはまさに目指すべきお手本のようなランナーだったのです。
・フェデラーほどリッチになれないスイス人アスリート
スイス陸上競技連盟によると、陸上競技選手の10人に5人が十分な生活費を稼いでいる。
そのうちの一人が、最近引退したビクトル・ロスリンさん。スイスのマラソン史で最も成功を収めた人だ。
しかし、スポンサーがついたのは、06年の欧州選手権で銅メダルを獲得してからだった。「それ以前は生活に苦労し、できることは何でもした「メダルをもらった後日、自分はマラソンランナーだと人に話すと、『そうですか。それで、どうやって収入を得ているのですか』と聞かれた。スポーツは趣味だけでなく、職業であることをもっとわかってほしい」
10年の欧州選手権では金メダルに輝いたロスリンさんは、将来を見据えて08年に健康促進に関する会社を興した。現在はその仕事に100%従事している。
40歳になるロスリン選手は翌年に地元チューリヒで行われるヨーロッパ選手権で引退を表明しており、これが憧れのランナーに会える最後かもしれないチャンスでした。
華やかなレセプション。例のように食べ過ぎ注意です…やっぱりレース後がいいな。
競技人生最悪の時期。立て続けの故障とインフルエンザ
そんな憧れのランナーに会えるチャンスにも関わらず、ぼくはボロボロと言ってもいい状態でした。
初マラソンが終わってからは、天狗高原での夏合宿や40km走も含む週200km以上の走り込みにも取り組んでみましたが、タイムも伸びず故障も多くなっていました。
2度目のびわ湖に向けた練習でも12月に有痛性外脛骨を発症、さらに復帰後の練習ですぐに膝を痛め、さらに1月はハムストリングの損傷。
2月の丸亀ハーフには当然間に合わず1時間11分以上かかるワーストタイムに終わりました。
そして1週間後にトドメのインフルエンザ。
もはや八方ふさがり。レースには万に一つの望みも無いように思われました。
それでも”病気は治れば走れる、脚が痛くなければ今回だけなんとしても出たい”、という気持ちだけは残っていました。
レース2週間前に一度だけ大きな刺激として3km×5を全て10分以内でこなすことができ”今までどおり30kmまで死ぬ気でついてあとはジョグしたらいいじゃないか”と思えるようになりました。
そしてレース当日。もはや走る前から結果は諦めていたはずが…
Photo by Kawaguchi
とにかく死ぬ気で30kmまで喰らいつこうと思っていたぼくにまたしても困難が襲い掛かります。
5kmで早くも強烈な腹痛!
前日食べ過ぎのせいもあるでしょうが、インフルエンザの影響でしばらくお腹の異変を感じやすくなっていました。
情けなくて泣きそうになりながらも耐えに耐えて、中間地点は丸亀ハーフより1分速い1時間10分24秒で通過。やった!
喜んでいるうちにいつの間にか25kmも通過。
よし、なんとか30kmまではいけるはず!あとはペースを気にせずゴールしよう。
いつものように30kmから集団が崩れ、ぼくは単独走に。
消えていた腹痛もまた復活し、喘ぎながらもなんとか走っていました。
35km通過。アレ、気のせいかそこまで落ちてない?
とっさにゴールタイムの計算はできないものの、1km毎にタイムを確認しても3:30-40/kmほど。キロ4に落ちていない、まだいけるぞ!
ぼくのエネルギータンクは確かにまだ残っていました。
40km地点通過、23分で走れる!
ぼくははじめてフルマラソンで”ラストスパート”というものをしました。
Photo by Kawaguchi
ゴールタイムは2時間23分51秒。自己記録をほぼ3分更新するタイムでした。
結果は完全に諦めて出場したレースでまさかの大成功。
この結果はこの後のぼくのマラソントレーニングの考え方を大きく変えることになります。
やり過ぎない、無理しない、心身共にフレッシュな状態を保つこと。
それを心がけていれば故障も減り、レース当日も元気で最後まで全力を振り絞ることができます。
マラソンで学んだこと。
びわ湖マラソンで学んだことはぼくの普段の生活にも活きていきます。
この時期はトレーナーとしての仕事もうまくいかず、一旦は競技を諦めて、新しい仕事を探そうとも考えていた時期でもありました。
しかし本当にやりたいことが決まっているのなら、ダメな時期にあれこれ悩んでも自分を追い込んでも仕方ない。
もちろんうまくいかなくて後ろ向きになることもありますが、できるだけ「なるようになるさ」と楽天的に考えるようにしています。
今やれるベストを尽くし、時には信じて待つことも大切です。
びわ湖マラソンが終わってからは高知市のランニング教室が決まり、それが好評を集めて教室の数やその他の依頼も1年ごとに増えていきました。
マラソンも人生もまだまだ理想どおりにいかないことばかりですが、その過程にこそ本当の価値があるのではないかと思えるようになりました。
苦しみぬいたからこそシンプルな喜びに気づかされることもあります。
そして無駄に思えた期間が今に繋がって花開くこともあります。
憧れのランナーに会いに行くだけのはずが、思わぬ成果に繋がった2度目のびわ湖マラソン。
3度目はどんな冒険が待っているのでしょうか。
月刊陸上(2011・5月号)の特集記事(レセプションに持っていってサインをGET)。
ロスリン選手はびわ湖では8位入賞、引退レースとなった翌年の欧州選手権では5位と地元で有終の美を飾りました。もしかしたらまた会える日も来る?
びわ湖毎日マラソン2013結果
2時間23分51秒(PB・72位)
5km16:19/16:36/16:41/17:00/16:40/16'41/17:34/18'22/7'54
HALF70:24-73:27
気温6.2度 湿度62% 風北西1.8m/s くもり