まるランニングマガジン

まるランニングマガジン

Takemaru Yamasaki マラソンランナー&プロランニングコーチ

プロ化、コーチと選手の関係性…東京五輪を控えて変化する陸上界の取り組みについて/上野敬裕【PR】

日本の陸上中・長距離界において独自路線を歩む湘南トラッククラブインターナショナル代表上野敬裕コーチが、現在の目まぐるしく変化する日本、そして世界の陸上競技についてより深く語っていく特別インタビュー。

 

今回はトレーニング法、コーチング、ドーピング問題やプロ化宣言といった、世論を巻き込みつつも、どこか一般ファンには伝わりにくい話題を、より専門的な目線で語っていただきます。

 

f:id:takemaru-yamasaki:20180609212753j:image

 昨夏ブリガムヤング大学を訪問した上野コーチと、大宅楓選手【大東建託パートナーズ】。

イアン・ハンター氏(写真中央)は、3000mSCの研究者で、ブリガムヤング大学の運動科学の教授であり、全米陸連の長距離の生物学分析の分野でスポーツ科学者としても従事している。

(参考記事)▷世界トップの3000mSCの選手はハードリングの練習をどのぐらいするのか? – LetsRun.com Japan

 

[トレーニングの変化]

山﨑竹丸※以下まる)まず、2018年はいきなり設楽悠太選手の日本記録更新でマラソン界が大いに沸きましたね。

設楽選手の従来の日本のマラソントレーニングとは異なるハイレベルなレース連戦と30km走中心の練習法も話題になりました。

 

上野コーチ※以下上野)設楽選手の日本記録は、テレビで見ていましたがすごかったですね。

後日、彼のトレーニング方法がクローズアップされていましたけど、従来の日本のマラソントレーニングとは異なる部分が多かったと思います。

 

まぁ「100人の選手・指導者がいれば100通りのやり方」があるわけで、設楽選手には今のトレーニングがベストなのでしょうね。

ハイレベルなレース転戦と25~30キロの距離走がうまくマッチし、マラソンを走るための脚や、スピード持久力が養われているのだと推測します。


こうしたトレーニングを高いレベルでこなせる設楽選手のポテンシャルもさることながら、HONDAの大澤監督・小川コーチの巧みなマネジメント力・指導の柔軟性が光りますね。「
選手目線に立った」強化マネジメントがうまくいっているのだと思います。


また、こうした記録や成績が出ると、現在の所属先の指導者がクローズアップされますが、個人的には東洋大学の酒井監督の指導も大きかったのではないかと思います。

将来的に、世界で戦うことを見据え、学生時代の4年間で礎となるスタミナ・スピードを培っていたのでしょう。


ラソンを走るスタミナは、一朝一夕にできるものではないと思います。私が尊敬しているコロラド大学のマーク・ウェットモアコーチ(ジェニー・シンプソン、エマ・コバーン等中長距離のメダリスト・名選手を育成)は、「
有酸素能力の辛抱強い開発」を指導理念に掲げておられますが、逆説的に考えると、有酸素能力の開発には、相当の時間がかかることを意味しています。

 

まる)マニアックなファンほど「どこどこ(学校)出身の選手はみんな卒業後も伸びてる」という話をしてたりしますよね。選手の背景を見るとより面白くなります。

 

 

[コーチと選手の関係性について]

まる)昨年福岡国際マラソンで当時日本歴代5位の好記録を出した大迫傑選手が、レース後のインタビューでピート・ジュリアンコーチ(オレゴンプロジェクトアシスタントコーチ)の関係について語っていたのがとても印象に残りました。

『ナイキ・オレゴン・プロジェクト』が大迫傑に与えている影響とは?…フォアフット走法についても聞いてみた(※記事より引用「コーチと、考え方というよりは目標が100%一致している。考え方が合わなくても話し合って解決できる。僕の目標、意見を尊重してくれるし、『コーチが僕を走らせたい大会』というのがない。実業団時代の駅伝は、『会社から求められているもの』だった」)

 

選手と指導者の関係というのは日本のマラソン・長距離界も変わりつつあるのでしょうか?

 

上野)以前と比べると、選手と指導者の関係というのも、変わってきているように感じますね。

特に、指導者のコミニュケーション能力や柔軟性、先ほどもお話した「選手目線に立った」強化マネジメントが、より求められる時代に入ってきていると思います。

 

今の時代、情報やトレーニングメニュー・理論などは、選手の方が詳しかったりしますし、SNS等を通じて簡単に海外の情報も入手できるようになってきました。(山崎さんが編集をされているレッツラン・ジャパンは情報の宝庫ですよね!)

そういった情報を得ている選手からすると、今の所属チームの指導者の指導に対し、少なからず疑問や矛盾が生じてくるのも、無理はないのかなと思います…

 

まる)情報があれば、自分がこうしたいという選択肢が増えますからね。


上野)以前、ある選手の方から、「チーム内の、自分よりも力が劣る選手に、練習を合わせるのが無駄に感じる、監督に訴えても変わらないから移籍したい…」と相談を受けたことがあります。

監督さんとしては、チームの和を重んじたり、トレーニングの継続性に重点を置いたり(その選手は故障が多かった)されているのだろうなと察しましたが、選手の不満は募る一方でした。

 

選手の気持ちもわからなくはないのですが、このチーム(指導者)を選んだのは、選手自身でもあるので、「今ある環境の中で、もう少し努力してみては」と諭しましたが、結局、チームを離れてしまいました。

選手と指導者との間に、もう少しコミニュケーションや、指導者の「個」に対する理解があれば…と思った事例です。

選手と指導者のベクトルを一致させる…言葉で言うのは簡単ですが、選手は、生身の人間ですし、競技成績や、年齢、環境によって絶えず変化していきますから、指導者に求めるニーズも変わってくるわけです。そこにどう対応していくのか…私も一指導者として、日々試行錯誤しています。

f:id:takemaru-yamasaki:20180609212400j:image

「指導者のコミニュケーション能力や柔軟性、選手目線に立った強化マネジメントが、より求められる時代に入ってきた」と語る上野コーチ。選手個々の状況も絶えず変化していく。

 

[ドーピング問題について]

まる)陸上競技に限った話ではないですが、近年トップアスリートの禁止薬物の使用、いわゆるドーピング問題、選手への厳しい処分がニュースで取り上げられる事も多くなりました。不正を嫌いクリーンなイメージがある日本のスポーツ界には関係の薄いことなのでしょうか?

 

上野)先日も、アスベル・キプロプ選手(北京五輪1500m金メダリスト)のドーピング陽性反応がニュースになっていましたけど、もう何があっても驚かないですね(苦笑)


日本も他人事ではなく、実際にEPOによる違反者が出ていますし、過去の疑わしい事例や、表に出てきていない事例まで考えると、由々しき状況と言えると思います。


火のないところに煙は立たないというか、こういった情報は必ず内部から漏れていきます。

私も、実際に女子選手から相談を受けたことがありますが、現場を見ているわけではないですし、自分自身が指導している選手ではなかったので「疑問があるのであれば、指導者の方とよく話をすること、女性としての将来のこともあるので、身体を大切に」としか言えませんでした。

部外者があれこれ口を出すのは、その指導者を否定することにもなりかねないので…

 

ただ、いつも首を傾げてしまうのですが、こうしたドーピングって、選手が自主的にやるとは思えないです…背後に、ドクター、エージェント、コーチの存在があるのは明らかなのに、そういったエージェントやコーチは、選手を犠牲にして、自分たちは生き延びている…ホント、理不尽ですよね。

 

まる)違反をした選手は、ほぼ全員が否定、または故意でない事を主張しますが…


上野)まぁ最近は、禁止薬物リストが毎年更新されていきますので、昨年はセーフだったものが今年はアウトというケースもあります。ドーピング検査をクリアできるような効き目のあるサプリメント、薬物を使用して、パフォーマンス向上に繋げているケースもあるのではないかと推測します。
使っている側からしたら、「ドーピング検査をクリアできて、パフォーマンス向上に繋がるのに、何で使わないの?」といった感覚なんでしょうけどね…

 

まる)市民マラソン界でも手に入りやすい薬の安易な常用による身体への悪影響が話題になる事もあります。一スポーツマンとして、薬の利用に関する考えをしっかり持っておくのは大切ですね。

 

上野)ドーピング検査を強化することはもちろんですが、日頃から選手、コーチに対する啓蒙活動の必要性を感じますね。

 

 

[現在の実業団チームの取り組み、そしてプロ化の動き]

 

まる)現在の実業団チームの取り組みについてどうお考えでしょうか?

 

上野2020年東京オリンピックを控え、既存チームの選手・スタッフの補充が増加しているのに加え、今まで陸上競技に縁のなかった企業が、選手を獲得しているのが目立ちますね。

一方では、駅伝の人気は相変わらずで、駅伝強化に特化しているチームも大いと感じます。


まる)最近は実業団や学生選手でもチームに籍を置きながら、海外に拠点を置いて転戦する選手も増えてきたように思います。こういった強化法の変化は、一般のマラソン・駅伝ファンには伝わりにくい部分もあるかと思いますが、上野さんは今の動きをどう見ますか?

 

上野)率直な感想を言わせて頂くと、いい時代になったな…と思いますね(笑)

極端な話、スマートフォン一台あれば、世界中の陸上競技関係者と繋がることができる時代で、行動力と資金があれば、ある程度のことはできると思います。


また、企業の理解や、安藤財団さんのグローバルチャレンジプロジェクト大阪陸上競技協会さんの夢プロジェクトなどのおかげで、強化資金のない学生選手でも、海外で貴重な体験を積めるのは、日本の陸上界にとって、大きなメリットですね。


こうした取り組みの評価は、長い目でされていくべきで、仮にその選手の競技成績が振るわなかったとしても、セカンドキャリアで指導者となってから、その体験が活きてくるかもしれません。若い時に見聞きしたものは、後々、大きな財産になると思いますので、今後も発展していって欲しいと願っています。

f:id:takemaru-yamasaki:20180609213314j:image

世界のトップアスリートと競える場は五輪・世界陸上だけではない。1年を通して世界各国でハイレベルなレースが繰り広げられている。

 

まる)新たな取り組みはリスクばかりが取り上げられがちですが、広い視野で見ると競技結果だけに限らずとても意義のあることですよね。特に世界中で普及している陸上競技は海外から学ばなければいけないことはまだまだ沢山あります。

 

上野)ただ一方で、海外に行かなければ、海外コーチじゃなくてはダメだという論調には、一石を投じたいですね。

GSPを運営している人間としてこの発言はどうかと思うのですが(笑)、日本の環境や指導者でも、創意工夫次第では、必ず世界と戦えると信じています。

 

まる)海外コーチの凄さを知りリスペクトしている上野さんだからこそ重みがあると思います!

上野)最初から勝てないと思っていたら、絶対勝てないと思うんですよね。まずは、ファイティングポーズを取って、自分のできるところから努力する。そんな情熱を持った若い指導者や選手を応援していきたいと思っています。

 

まる)最後の質問になりますが、これはどうしても聞いておきたいと思いまして。先日ボストンマラソンを優勝した川内優輝選手のプロ転向宣言が話題になりました。これも実業団チームが主流の日本の長距離界において、一般のファンには今ひとつピンとこない話題のように思います。一体陸上における“プロ”とはなんなのでしょう?

 

上野)最近のプロ化の動きを見ていると、「プロ」の定義について、いろいろ考えてしまいますね。


私が考えるプロとは、技能に優れ、その技能によって生計を立てている方。
陸上競技の世界で考えると、賞金とスポンサーフィーで生計を立てている方なのかなと考えています。

一般の方から見ると、実業団の恵まれた環境(雇用や活動費など)を捨てて、なぜプロになるのか?このあたりは、理解に苦しむところでしょうね・・・


過去に、何人もの実業団選手から、「プロ化」についての相談を受けていますが、実業団時代の給与+活動費のレベルのスポンサーを探すのは、かなり困難です。

 

それぞれの選手の立場や事情もあると思いますので、あくまでも個人的な考えになりますが、プロになる理由としては、「拘束」されず、自由に、自らの意志・責任で競技活動を行いたいという面が大きいのかなと感じています。


私自身の立場に置き換えてみると、コーチングに関しては、「選手個人の能力を引き上げることを重視」し、「長期的なビジョンに立って指導していきたい」というのが理念ですが、企業に雇用されていた時代は、企業(オーナー)の意向や、駅伝とのバランスなど難しい側面が多く、日々大きなストレスでした(苦笑)。

一度きりしかない人生、こと陸上競技に関しては、選手・自分自身の気持ちに嘘はつけないと思い今の道を選びましたが、後悔はしていません。

これからの時代、選手・コーチの価値観、競技観は、多様化していくでしょうからから、プロ化は必然でしょうね。
この流れを興味深く、見守っていきたいと思います。

 

まる)これからどんなニュータイプの選手やコーチが出てくるか楽しみですね。ありがとうございました!

 

 

[上野敬裕コーチプロフィール]

1972年千葉県生まれ。船橋市八木が谷中学校で陸上競技を始める。
船橋市船橋高校に進学後、主将として、全国高校駅伝8位入賞に貢献した。
関東学院大学に進学後、箱根駅伝出場を夢見るが、度重なる故障の影響で、競技を断念。
その後、マネージャー、アシスタントコーチとして、チーム初出場の礎を築いた。
1997年リクルートに入社。活躍のフィールドを実業団に移し、3度の日本選手権制覇、世界陸上アジア大会
日本代表を育成するなど指導力を発揮。
2009年からは、陸上界への貢献を念頭に、NPO組織を立ち上げ、幅広い活動を行っている。

 

・過去インタビュー記事 

www.takemarun.com